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松山地方裁判所 昭和60年(ワ)543号 判決

原告・出元優花訴訟承継人

出元静雄

出元明美

右原告ら訴訟代理人弁護士

相良勝美

小笠豊

被告

萩山正治

右訴訟代理人弁護士

菅原辰二

右訴訟復代理人弁護士

草薙順一

主文

一  被告は、原告出元静雄に対し一七三九万九八八〇円及びこれに対する昭和五九年四月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告出元明美に対し一七五九万九八八〇円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その二を原告らの連帯負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告らに対し、それぞれ五五〇〇万円及びこれに対する昭和五九年四月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一事実経過(証拠を付記した事実以外は、当事者間に争いがない。)

亡出元優花(以下「亡優花」という。)は、原告出元明美(以下「明美」という。)と原告出元静雄(以下「静雄」という。)の間の第三子であり、昭和五八年四月二八日午後、被告が肩書地で経営する診療所において分娩された。

この分娩には、子宮収縮剤シントシノン(これは、登録商標であり、子宮収縮をもたらす物質は、オキシトシンである(〈書証番号略〉)。以下、オキシトシンと表示する。)が用いられた。投与は、オキシトシン五単位を五パーセントぶどう糖液五〇〇ミリリットルにまぜて点滴する方法によった。

途中、明美の子宮が破裂し、亡優花が明美の腹腔内に出てしまった。被告は、急遽、市立宇和島病院に応援を頼んだうえ、帝王切開術を施し、同日午後一時四〇分仮死状態で出生した亡優花に蘇生術を施すよう手配したうえで救急車で宇和島病院に搬送させ(午後二時三五分ころ出発(〈書証番号略〉))、明美に対してさらに子宮縫合術を施した。

亡優花は、午後二時三八分、同病院に到着し、すぐ治療を受けたが、治療開始時は、新生児仮死(Ⅱ度)、左気胸、低体温の状態であった。治療の結果、後二者は治癒し、呼吸及び循環も回復したが、重度の脳障害を残し、そのため、重度の精神運動発達遅滞、重度の脳性麻痺(疼直性四肢麻痺)、てんかん、脳萎縮となった。咳反射不十分のため、肺炎を繰り返していた。(〈書証番号略〉)

亡優花は、その後、国立療養所愛媛病院に入院したが、脳性麻痺の状態は続き、慢性反復性気管支肺炎の状態にあり、昭和六一年一月五日、急性肺炎により死亡した(〈書証番号略〉)。相続人は、父静雄及び母明美である。

二争点

1  債務不履行又は過失の有無

(一) 事実的因果関係(子宮破裂の原因)

(1) 原告の主張

子宮収縮剤による過強陣痛が原因である。

(2) 被告の主張

陣痛周期等から判断すると、過強陣痛ではなかった。子宮破裂の原因は、特定できない。

(二) 予見、回避可能性及びその義務違反の有無

(1) 原告の主張

被告は、オキシトシンを点滴する際、点滴速度を毎分三〇滴以上としたが、過剰である。仮に、被告主張のとおり毎分一〇滴であったとしても、もっと少ない量から始めて陣痛の具合を見ながら増加すべきであるし、分娩中遅発一過性徐脈が現れ過強陣痛が疑われる状況にあったのに、点滴速度を落としたり点滴を中止したりしなかったのは、医療契約の本旨に従わない履行又は過失である。

被告が、もっと少ない点滴速度で点滴を始め、また遅発一過性徐脈が現れたときに前記のような措置をとっていれば、過強陣痛及びそれによる子宮破裂を原因とする胎児仮死は防ぐことができた。

(2) 被告の主張

オキシトシンの点滴速度は、毎分一〇滴あるいはそれ以下であって、適切である。分娩中現れた徐脈は、変動一過性徐脈であり、これは体位変換により消失した。その後、徐脈は現れていないから、胎児仮死を疑うことはできない。よって、被告の措置には、債務不履行も過失もない。

2  損害額

第三争点に対する判断

一本件については、第二の一のほか、次の事実が認められる。

1  明美は、昭和二七年一一月四日生まれであり、同五一年七月三〇日長男洋平を、同五四年七月四日次男佑樹を、それぞれ経膣分娩により出産した。なお、右出産時の児の体重は、それぞれ約三八〇〇グラム及び約三五六〇グラムである。

明美は、本件出産より前に、帝王切開術を受けるなどして子宮の壁を切開されたことはない。吸引分娩は経験している。

(〈書証番号略〉、明美の供述(一回一から三丁(以下、回数については、当該人証の採用回数ではなく、証拠調べ回数を意味する。))、弁論の全趣旨)

2  亡優花の妊娠につき、明美の最終月経は、昭和五八年七月二五日であった。明美は、当初宇和島市立宇和島病院で診察を受けていたが、同五九年二月二七日から、被告の診察を受けるようになった。その当初、前置胎盤の疑いがあったが、現実には前置胎盤ではなかった。また、切迫早産、羊水過多症、カンディダ症、貧血等がみられたが、対症療法により病状は消退した。なお、被告の診療当初、亡優花は、いわゆる逆子であったが、逆子体操を行った結果、頭位となり、再び逆子となったが、逆子体操により頭位となった。明美は、同年四月三日、下腹部を打撲したが、特に異状はなかった。その他、特に異状なく経過した。(〈書証番号略〉、被告の供述(一回七から一〇丁))

同月一八日、被告は、分娩監視装置を用いて、ノンストレステストを行ったが、胎児に異状はなく、子宮に軽い収縮がみられた。

3  分娩監視装置とは、胎児の心拍数及び子宮収縮の強さを計る機械である。機器本体と電気コードで接続されたベルトがあり、妊婦の下腹部、子宮の直上の部分に外から巻き付けるようになっている。ベルトには、胎児心拍数を計るための検知器が付けられている。これは、超音波ドップラー法を用いて胎児心臓の動きを超音波の周波数変化としてとらえ、一つの心拍と次の心拍との間の時間を計る。そして、一分間あたりの心拍数を瞬時に計算したうえ表示する。また、ベルトには、子宮収縮の強さを計るための検知器(感圧器)が付けられている。これは、突起状になっており、ベルトを装着すると、腹壁を介して子宮壁の一部を押し込む形となる。陣痛時、子宮が収縮するが、筋肉でできた子宮壁が固くなり、子宮自体の形も変形するので、感圧器の突起を押し戻す力が働く。この力を電気抵抗の変化に変えて計るものである。この計り方を、外測法という。こうして計られた胎児心拍数及び子宮収縮の程度は、即時に記録紙に記録され機器本体から送り出されてくる。これにより、その時その時に、胎児心拍数やその変化と子宮収縮の強さとの時間的関係などを知ることができる。

外測法で計ることができる子宮収縮の強さは、相対的なものである。子宮収縮の強さを正確に知るためには、消毒したカテーテル(ポリエチレン製などの中空の管)を子宮内の羊水の中に挿入し、カテーテル内部に滅菌食塩水を満たし、カテーテルのもう一方の端を圧力計測器に接続し、子宮の内圧を計る(これを内測法という。)べきである。しかし、この方法は、妊婦の体内に異物を入れるため妊婦が細菌に感染する危険が絶無ではないこと、コスト面に難があることなどから、日本では大病院でも、特殊な症例を除いては用いられない。

分娩監視装置でもっとも正確なデータがとれるのは、妊婦が仰向けになっているときである。仰向けから横向きにかわると、得られるデータの正確さが損なわれる。その程度は、心拍数では比較的少ないが、子宮収縮では著しいことが多い。

なお、分娩監視装置は、分娩時に用いるほか、分娩のための顕著な陣痛がみられる前に、胎児の心拍と子宮収縮の状態を計り、胎児の状態をみるのにも用いられる。これを、ノンストレステスト(NST)という。

分娩監視装置は、陣痛の程度が強い分娩時と、それ以前の陣痛がほとんどない場合とに用いるから、陣痛計測の感度を調節できるようになっている。

(鑑定の結果(鑑定書四から六頁)、〈書証番号略〉、被告の供述(一回一九丁))

4  同月二七日、明美は、被告の診療所を訪れ、分娩誘発を希望した。当時、明美の頸管は十分成熟していた。被告は、明日午前一〇時に来て入院するように言った。(〈書証番号略〉、明美の供述、被告の供述(一回一〇、一三、一九丁)。明美の供述中、これに反する部分は採用しない。)

5  翌二八日午前一〇時ころ、明美が被告の診療所に来た。明美は、まず採尿を受け、看護婦から院内を案内され、病室で専用の寝巻きに着替えたうえ陣痛室に案内された。午前一〇時四〇分ころから、陣痛室において、前記のとおり、子宮収縮剤オキシトシンの点滴投与が始められた。点滴数は、被告の指示により、一分あたり一〇滴であり、途中増減はなかった。また、それとほぼ同時に、谷口看護婦が、分娩監視装置を明美の下腹部に装着し、監視を始めた。その監視記録は、〈書証番号略〉である。点滴及び監視を始めた時、被告は外来患者の診療のため、立ち会っていなかった。准看護婦谷口チヨミ、同島田博子は、点滴などの開始からほとんど明美のところにいた。また、准看護婦井上千鶴も、最初立ち会い、その後も時々立ち会った。なお、被告の診療所では、医師は被告だけであり、他に助産婦中尾ハツエがいたが、同人は非常勤で、本件子宮破裂までは被告の診療所に来ていなかった。(〈書証番号略〉、谷口の証言(一回八から一二丁、二回一二、三八丁)、島田の証言(一回八、九丁)、明美の供述、被告の供述(一回二、三、一四から一六、二九、三〇丁、二回六から八、一二から一四、二一丁)。明美の供述中、これに反する部分は、右各証拠、〈書証番号略〉に〈書証番号略〉と対比して採用しない。)

6  子宮収縮剤の投与を始めてから約一〇分後に、目立った陣痛が現れた。本件の分娩監視装置では、最も強くなった部分が記録できず、記録された陣痛曲線の上が切れて水平の直線となっている。これは、分娩監視装置の陣痛計測の感度が、昭和五九年四月二五日に別の妊婦のノンストレステストを行った時のままだったからである。また分娩監視装置を装着して陣痛の計測を始めて数分間の陣痛曲線は、ほとんど記録紙の目盛りでいうと〇から一〇の位置にあったが、目立った陣痛が現れてしばらくは、陣痛が弱まったとき(間欠期)も、記録紙の目盛りでいうと一五や二五の部分より下にさがらず、しかもすぐに曲線が上に上がった。

目立った陣痛が見られてからさらに五分くらい経つと、一過性徐脈が頻繁に見られるようになり、それから約三〇分くらいの間に、胎児心拍数が毎分八〇回、あるいは毎分六〇回程度まで下がることが五回あった。なお、基線変動消失はみられなかった。

その後は、瞬間的に低い心拍数が記録される箇所がかなりあるものの、それを除けば、心拍数はおおむね毎分一四〇回前後かそれよりやや多く、目立った一過性徐脈はなかった。被告は、分娩が近づいたとみて、明美を陣痛室の隣にある分娩室に移動させた。この間、五ないし一〇分、ベルトをはずし、監視を中断した。これ以外、子宮破裂まで、ベルトを外したことはない。この後も、ところどころ心拍数の記録が極端に上下するところがあるが、目立った徐脈も基線変動消失もみられなかった。分娩監視記録は、全部で約二時間半分が残されているが、最後の部分でも陣痛が記録されている。

明美が分娩室に移された後、子宮が破裂し、胎児が子宮外に出た。このとき、被告は、分娩室内にいた。被告は、第二の一のとおり、帝王切開術を施した。

被告は、点滴を開始してから子宮破裂まで、四、五回陣痛室又は分娩室に行って様子を見た。

(〈書証番号略〉、明美の供述、被告の供述(一回一七から二六丁、三回四、六丁)。明美の供述中、右認定に反する部分は、右各証拠と対比して採用しない。)

7  明美は、被告の経営する診療所に入院を続け、同年五月一一日退院した。その後、明美は、第四子を無事に分娩した。(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)

8  子宮筋のオキシトシンに対する感受性、すなわちオキシトシン投与により誘発される陣痛の程度は、個人差が極めて大きい。ある妊婦に対しては、あまり収縮の効果が見られないのに、別の妊婦に対しては極めて大きい収縮をもたらすことがある。オキシトシンで誘発された陣痛は、初め弱く次第に強くなる生理的陣痛の収縮とは異なり、投与開始初期から、分娩末期の陣痛のような子宮内圧の高い規則的な収縮をもたらす。そして、この投与開始初期に、しばしば子宮筋のトーヌス(弛緩時の内圧)の増強や過強陣痛、それによる胎児仮死が出現する。過強陣痛は、子宮破裂をもたらすことがある。この場合、子宮全摘除術を余儀なくされることがあるほか、母児ともに重大な影響を受ける。なお、子宮収縮剤による副作用は、これだけに尽きるものではない。(鑑定の結果(鑑定書四、七から九頁)、〈書証番号略〉)

子宮収縮剤による過強陣痛、子宮破裂の危険については、種々の文献で述べられている。昭和四九年八月、日本母性保護医協会が発行した研修ノートNo.4〈書証番号略〉は、その一例である。これは、五年後には全国の診療所が達すべきレベルを示す目的で作成された(鑑定の結果(供述二丁))。昭和五四年一二月発出された厚生省薬務局安全課医薬品副作用情報No.四〇の通達でも、副作用や使用方につき詳しく述べられた。昭和五七年一月改訂されたシントシノンの効能書(〈書証番号略〉)にも、副作用として過強陣痛、子宮破裂が記載され、適用上の注意として、「オキシトシンに対する子宮筋の感受性が強い場合、過強陣痛、胎児ジストレスの症状があらわれることがあるので、このような場合には投与を中止するか、又は減量すること」との記載がある。子宮収縮剤による他の副作用についてではあるが、昭和五三年四月発出された厚生省薬務局安全課医薬品副作用情報No.三〇は、妊婦が死亡した事例を紹介している。

そして、右のようなオキシトシンの特性にかんがみ、各文献が、投与量が過剰にならないよう注意を求めている。投与方法は、複数考えられるが、点滴は、投与量を調節しやすいなどの利点があるとされる。この場合の投与開始時の速度について、前記の研修ノート(〈書証番号略〉)は、毎分五から一〇mU(ミリ単位)で投与を開始する例を紹介している(一九頁)。しかし、前記の効能書(〈書証番号略〉)では毎分一、二mU、昭和五六年第一刷発行の〈書証番号略〉では毎分二mU(一三頁)、〈書証番号略〉では1.5から三mUから始めると記載されている(二〇六頁)。〈書証番号略〉自身、ビショップスコア九点以上の妊婦では0.5mUで有効な陣痛が得られる例があることをあげ、少量からの投与を勧めている。

また、鑑定人、〈書証番号略〉はいずれも、点滴速度を調節する必要を説く。分娩監視装置についても、〈書証番号略〉では常に必要とまでは断定しないが、〈書証番号略〉では少なくとも外測計の利用が前提とされている。

二争点1(一)(子宮破裂の原因)について、判断する。

一記載の各事実、とりわけ6記載の事実及びその認定に用いた証拠、鑑定人による鑑定の結果によれば、本件子宮破裂の原因は、オキシトシンによる過強陣痛であると認められる。

被告は、これに反し、分娩監視記録に現れた陣痛は、間隔などから判断して、過強陣痛とはいえないと主張する。確かに、日本産婦人科学会用語問題委員会は、陣痛間隔及び陣痛持続時間で過強陣痛を表現している(この事実は、当事者間に争いがない。)。ところが、これらは間欠期と極期(もっとも強いところ)との間をとってそれを五分し、その弱いほうから一つめの位置(以下「五分の一線」という。)を基準に決められるのであるが、被告は、分娩監視装置の陣痛計測の感度を、ノンストレステストの時のまま放置し、陣痛の極期が正確に記録されない状態で用いている(一の6)。このような場合、機器の忠実度が害され、陣痛の始まり、終わりはある程度正確に表示できても、陣痛の強度に関しては、表示の正確さが著しく損なわれると認められる(鑑定の結果(供述八、二七、二八丁))。そうすると、極期を正確に認識することはできず、五分の一線を正確に定めることはできない。また、その点はしばらく措き、極期を推定して判断するとしても、前記委員会は、陣痛の強さを、一次的には子宮内圧で表示したうえ、臨床的には、「これに代えて」、陣痛周期と陣痛発作持続時間とをもって「表現」すること「も認められる」とし、その範囲は、正常と思われる陣痛の推計学的処理によって定めたというのである(〈書証番号略〉の三六頁)。これらの事実及び鑑定の結果(供述二四、二五丁)、〈書証番号略〉の三一頁によれば、子宮収縮の強さそのものと周期や陣痛持続時間とが論理必然的な関連を持つとまでは断定できず、陣痛間隔及び陣痛持続時間を用いた過強陣痛の目安からは過強とされなくとも、収縮が子宮を破裂させるほど強い場合がある、と認めるべきである。よって、この点についての被告の主張は採用できない。

また、被告は、子宮破裂の原因としては、子宮収縮剤の投与のほか、種々のものがあり、本件はそのどれとも確定できないと主張する。確かに、本件で書証とされた文献だけをみても、子宮収縮剤の過剰投与以外の原因が並記されている。しかしながら、本件では、前記のとおり、各文献に照らしても遅からぬ点滴速度でオキシトシンが投与され、かつ、遅発一過性徐脈やオキシトシンの投与時に現れると一般に言われるような陣痛が明らかに現れたのである(鑑定の結果(鑑定書九、一三頁))。そして、一般に、子宮収縮剤の投与が子宮破裂の原因たりうることは、動かし難い事実である(一の8)。他方、明美の出産歴、本件出産時の経過(一の1、2、4から7)からは、子宮破裂をひきおこす有力な原因と思われる事実は見当たらない(鑑定の結果(鑑定書一二、一六頁、供述一〇丁)参照)。そうすると、子宮収縮剤が子宮破裂の原因と推認することには、充分な合理性があり、この点についての被告の主張は、採用できない。

なお、強い子宮の収縮は、胎盤を通じて胎児への血流を妨げ、これが遅発一過性徐脈などを引き起こす原因となるが、反対に、胎児の心拍数が胎児仮死の兆候を示さない場合であっても、子宮が強く収縮して子宮破裂が起こることがある(鑑定の結果(鑑定書一四頁、供述二四丁))。したがって、本件で途中から徐脈がみられなくなった事実は、前記認定を妨げるものではない。

三争点1(二)(予見、回避可能性及びその義務違反の有無)について、判断する。

1  これまで認定した事実、特に、本件子宮破裂が子宮収縮剤によるものであること、被告による子宮収縮剤の投与量(被告が、点滴について、特に一滴の滴数を少なくするようにしたことをうかがわせる証拠はないから、一分当たり一〇滴の投与により一分当たり五mU程度が投与されたと認めるべきである。)、明美の身体の状態からみて、後記のような遅発一過性徐脈が現れた時点で、被告が投与量を減少させるか投与を中止し、陣痛を十分観察しておれば、過強陣痛、子宮破裂は避け得たものと認められる(鑑定の結果(鑑定書二二頁))。

2  次に、予見、回避義務違反の有無について判断する。

本件では、オキシトシンの投与開始後まもなく、遅発一過性徐脈がほぼ連続して一三ないし一五回あり(鑑定の結果(鑑定書二一頁、供述一六丁))、しかも、その中には、徐脈の期間が長く心拍数が低い強度の徐脈がみられる。また、トーヌスの増強もある。そうすると、オキシトシンの投与により一般に生じるといわれるような収縮(一の8)があったことが、誘発当時に判断できたというべきである。そして、子宮収縮剤の副作用については、昭和四〇年代から警告され続けている(一の8)。また、妊娠、分娩経過(一の1、2、4から6)に照らし、子宮収縮剤の投与を続けなければならない事情はないと認められる。したがって、医師自らが分娩監視装置を正しく用いたうえ、子宮収縮剤の投与中(特に当初三〇分)に妊婦のいる場所に立ち会い、それができなくとも、看護婦に対し、子宮収縮剤の特性、分娩監視装置の重要性及び用い方、点滴の方法、少しでも異常と思われる事態が生じればすぐ医師を呼んで善処を求めること、これらの経過を正確に記録することなどを教育し、少量からの投与と投与速度の調節を行う義務があったというべきである。これを怠り、前記のような回避措置を講じることなく、少なからぬ子宮収縮剤の投与をそのまま続けた被告には、予見、回避義務違反、すなわち債務不履行及び過失が認められる。

被告は、胎児心拍数を示す曲線の徐脈部分の形が三回連続して同じ形を示さず、徐脈のみられない陣痛もあったことなどをあげ、その徐脈も、体位変換により消失したとして、本件の徐脈は変動一過性徐脈であって胎児仮死とは判断できなかったと主張する。また、分娩監視装置はあくまで補助的に用いるものであり、医師が臨床症状を総合的に判断すべきものとも主張する。

しかしながら、遅発一過性徐脈が生じるのは、胎盤が子宮収縮により圧迫を受け、その圧迫が陣痛の極期に最も強くなるために、そのころから胎児への循環血流量が少なくなるからである。そのような発生機序に照らせば、遅発かどうかを判断するのに重要なのは、陣痛と徐脈との時間的関係であって、心拍曲線の形の均一性ではない。(鑑定の結果(供述一二から一五丁)、〈書証番号略〉(二三六頁))

本件では、陣痛の極期が確定できない(それ自体、被告側の行為によりもたらされたものである。(一の6))にしても、陣痛の極期たりうる時点後から、顕著な徐脈が始まっている。そうすると、これは、遅発一過性徐脈であり、そのように判断することは充分可能というべきである。そして、〈書証番号略〉の三を見れば、三回続いている箇所があることも明らかであるから、胎児仮死、ひいてはその原因である子宮の極めて強い収縮を疑うべきである。被告のように、均一性にこだわれば、最低毎分一二〇回程度の徐脈が三回続いた場合と、最低一二〇、八〇、一二〇という徐脈の場合とを比べれば、後者の方が徐脈の程度がひどいのに、かえって変動一過性徐脈で危険性が少ないと判断されることになりかねない。

また、後に徐脈が消失したことは事実であるが、前記のような子宮収縮剤の危険性、投与量、効果やそれまでの徐脈の程度や徐脈からすれば、過強陣痛の可能性に思いを致すことは充分可能と考えられる。

さらに、分娩監視装置は、誤った用い方をしなければ、われわれが外から見ることのできない胎児心拍数や、徐脈と陣痛の開始、極期などとの関係を正確に表示するものである。したがって、分娩監視装置から明らかに危険な兆候が読み取れるのに、それを無視することは許されず、正確なデータが得られるよう配慮して活用すべきものである。(鑑定の結果(供述五丁参照)、〈書証番号略〉)

被告は、地方の診療所の実態を考慮すべきものと主張する。しかしながら、子宮収縮剤の作用、危険、分娩監視装置の有効性などについて昭和四〇年代からさまざまな報告がされてきた事実(一の8)からすれば、前記のような回避措置を求めることは、地方の診療所の実態を無視することにはならないというべきである。谷口の証言(二回二八丁)、島田の証言(一回一三丁)及び被告の供述(二回二二丁)によれば、分娩時に感度を調整しないまま分娩監視装置を用い、陣痛の極期が記録できなかった例が一、二例にとどまらないことが認められるが、どのように診療所の実態を考慮しても、これは適切とはいいがたい。

なお、陣痛の周期及び持続時間により過強陣痛を表現するのは、前記のとおり厳密なものではないから、この点だけに着眼し、前記のような点を無視して過強陣痛でないと判断することは、許されないというべきである。

このように、債務不履行及び過失に関する被告の主張は、全て採用することができない。

四以上のとおり、被告には債務不履行及び過失があるから、さらに進んで原告に生じた損害(争点2)について判断する。

1  亡優花の逸失利益(主張二八五六万八三一八円、認定一四九九万九七六〇円)

亡優花が一八歳に達するのは更に後年であるから、弁論終結時に刊行されていた平成二年当時の賃金センサス女子学歴計一八、一九歳の賃金(一八二万七一〇〇円)を基準とし、生活費五割を控除し、新ホフマン係数(16.4192)により中間利息を控除すると、その逸失利益は、次の算式のとおりとなる。

182万7100円×(1―0.5)×16.4192=1499万9760円

静雄及び明美が、それぞれ七四九万九八八〇円を相続。

2  慰謝料(主張七〇〇〇万円、認定合計一六〇〇万円)

特に明美が子宮破裂に追い込まれたことなど諸般の事情を考慮し、亡優花に対し七〇〇万円、静雄に対し四〇〇万円、明美に対し五〇〇万円が相当と認める。

亡優花分については、静雄及び明美が、それぞれ三五〇万円を相続。

3  墳墓葬祭費(主張一〇〇万円、認定八〇万円)

弁論の全趣旨により、静雄について認める。

4  医療費・交通費(主張一〇〇万円、認定〇円)

確実に認めるに足りる証拠がない。

5  以上を合計すると、静雄の損害額は、一五七九万九八八〇円、明美のそれは、一五九九万九八八〇円となる。

6  弁護士費用(主張一〇〇〇万円、認定合計三二〇万円)

弁論の全趣旨により、静雄、明美とも各一六〇万円が相当と認める。

五以上の次第であるから、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条一項を、それぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官八束和廣 裁判官細井正弘 裁判官久留島群一)

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